韓国ドラマ:イ・サン(李祘)
最近このドラマのお陰で月・火曜日の夜が楽しみです。李祘(正祖大王)は朝鮮の22代目の王で、大きい業績を残していると聞いています。正祖は父(思悼世子)が、祖父(英祖:21代目の王)の命令によって米櫃の中に閉じ込められた8日後に餓死してしまう辛い記憶を持っていて、紆余曲折の中で王になってからも当時二分されていた政治的な派閥の間で悩んでいたそうです。そんな状況で今は世界遺産になっている水原にある世界遺産の華城を築造し水原への遷都を試みた人でもあり、朝鮮時代中期に色んな分野で業績を残した王です。
このドラマの面白い所は、父の死、お祖父さんとの葛藤、王位争いなどがうまく絡んでいて、見ていてあまり退屈しないところですね。ただ私の場合、王宮の女たちの間の争いのシーンはちょっと退屈しました。でも今半分くらい終わっているだろうと思いますが、彼は毒殺されたと言う説もあり、彼が死ぬまではずっと面白い展開になると思います。韓国でこのドラマの放映が始まった後にKBSでも世宗大王をテーマにしたドラマが始まったので「大王世宗」もちょっと期待したのですが、このドラマ「イサン」に比べたら全然面白くなかったです。日本の時代劇と比較しながら見るともっと楽しく見れると思います。
韓国ドラマ「イサン」の人物相関図
ドラマイサンを見ながらちょっと家族関係が複雑だったので調べてみました。これを分かった上で見るとストリーの展開が分かりやすいと思います。 正祖大王イサンの後を継いで23代目の王になったのは、正祖と綏嬪朴氏(1770~1822)の間で生まれた純祖(1790~1834)です。面白いことにドラマとは違って、純祖は11歳の子供の時に即位したので、貞純王后は死ぬ時まで権力を持っていたのです。
正祖 李祘
出没:1752~1800年。朝鮮22代目の王。在位:1777~1800年。名前:いさん(李祘)。
朝鮮21代目の王である英祖(1694~1776年)の孫で、父は莊獻世子(=思悼世子:王にならずに父英祖によって殺される)、母は洪鳳漢の娘惠慶宮洪氏、妃は金時默の娘孝懿王后である。1759年(英祖35年)に世孫(王位後継者の息子)になる。1762年、世子(王位後継者)である父がお祖父さんの命令によって뒤주(米櫃:お米を保管する箱)の中に閉じ込められて死んでしまう。1776年3月にお祖父さん英祖が死に、王の英祖の遺敎に従って即位した。王になるないなや王になれずに無残な死を告げた父を莊獻世子として追尊(王になれずに死んだ人に後から王の位を与えること)し、世孫の時から自分を守ってくれた洪國榮を都承旨(王の命令を管理する職)の位に任命し、宿衛大將(王の警備隊の大将)を兼職させて、自分の反対勢力の粛清と政治の安定を図った。その後、父に濡れ衣を着せられ死なせた淑儀文氏の爵号を奪い、和緩翁主(伯母さん)は私家へと追放し、自分の即位を妨害した鄭厚謙(和緩翁主の養子)を流した後に賜死(王の命令で毒を飲ませて死なせること)した。洪國榮が権力を乱用することによって臣下たちからの苦情が厳しくなってからは洪國榮を権力の座から退け、1780年2月からは親政体制を強化した。
慶州金氏漢耉の娘。英祖の妻(王妃)貞聖王后が死に、1759年(英祖35年)16歳の若さで当時64歳の英祖と結婚し王妃になった。子供はできなかった。英祖と暎嬪李氏に間で生まれた思悼世子との関係が悪る政治的なバックグラウンドも違っていた。
英祖の2番目の嬪(王の正式な妻は王妃と呼ぶ)暎嬪李氏が生んだ息子で、英祖の一番目の嬪(靖嬪李氏)が生んだ孝章世子が早く死んでから皇太子になったが、当時の政治的な派閥の争いの中で濡れ衣を着せられ殺されるようになる。正祖の父。※俳優:イ・チャンフン。
※孝章世子(英祖の長男:1719~1728年):10歳の若さで死んだあと、正祖が彼の養子となって英祖から王の座を受け継ぐ。ドラマの中で「私は思悼世子の息子だ!」とみんなの前で発表するシーンがあるけど、これは父の思悼世子が罪人扱いされ、しかし王の位は継がせなければならないから叔父の養子にさせたわけだ。
作成:2009.1.14(更新:2017.6.6)