景福宮
景福宮(ギョンボックン:경복궁)は、朝鮮時代を開いた太祖李成桂が、1394年にソウルに遷都し、朝鮮の正宮として作られた宮殿で、1592年に豊臣秀吉の朝鮮侵略により焼失したのを、273年後の1865年に再建したものです。以後日本の植民地時代に、日本による破壊及び変形されたものを、1990年から復元事業を行っており、2009年まで昔の宮殿を続々と復元する予定になっています。
景福宮が再建されるまで、朝鮮の正宮として273年間使われたのが昌徳宮 (창덕궁)で、朝鮮時代の建築文化がよくうかがえる事で世界遺産にも登録されているが、美しさや壮大さなど色々なことを考えると、ソウル一番の見所はこの景福宮だと思います。
景福宮に訪れた時の一番の鑑賞ポイントは、建物のロケーションだと思っています。ソウルは高麗時代が終わり、朝鮮の首都として新たに探していた場所として選ばれたのがソウルで、その中でも王宮を立てた土地なので当時の中国からの儒教や風水学などを考えて決めたのがこの場所なわけです。上の写真(勤政殿)の場所に立っているとなぜここに決めたのかがなんとなく分かると思います。※景福宮ガイドブック / 景福宮周辺地図拡大。
景福宮駅
ソウルの地下鉄3号線「景福宮駅」5番出口が景福宮へつながる出口です。5番出口を出ると正面にこのような風景が見えて、左には韓国中央博物館がありましたが、現在は改装工事中で2005年6月頃から新たに故宮博物館(www.gogung.go.kr)としてオープンし、国立中央博物館(www.museum.go.kr)は龍山(용산)へ移ることになりました。
興礼門
昔景福宮に入る為には、まずソウル城(漢城)の南の入口である南大門(正式名:崇礼門)をくぐって入城し、3キロほど歩いて景福宮の正門である光化門→興礼門(흥예문)→勤政門→勤政殿(景福宮の本殿)の順になります。光化門と興礼門の間に、日本が韓国の気を妨げる為に朝鮮総督府を建てたのを、1990年代後半に撤去し、その一部を国立中央博物館に保管してあります。
勤政門
興礼門前の広場から入場料3000ウォンを払って入ると、本殿の勤政殿の前に勤政門(근정문)が現れます。興礼門と光化門の間の広場からは、1時間置きに王宮警備隊の交代式が再現されて行われます。(※冬季は休むとの掲示がありましたが、12月始めまではやっていました)
慶会楼
慶会楼(경회루)は、王が臣下や外国の使節が来た時宴会などを開いた宴会場。48個の石柱の上に床を敷いて宴会場を作った。建物の前には池を設けて、池の中には人工の島も作り舟遊びもできるようになっていた。
慶会楼の横では写真のように韓国伝統の服(韓服:ハンボク)を借りて、写真を撮ることができます。(1枚約15000ウォン)。日本に4年間も滞在しながら、着物を着て撮った写真が一枚もなかったので、こう言うのを見ると楽しいだろうなと時々思います。写真撮影の後は、自分のカメラでの撮影もできるので、慶会楼をバックにしての写真も撮って見てください。
香園亭
香園亭(향원정)は景福宮の庭園で、韓国初の西洋式庭園だそうですが、ここが私的には景福宮の見所2番目だと思います。実際私は、景福宮の中ではここの写真が一番好きです。後ろの山と香園亭がよく調和していますね。
韓国の王さまが住んでいた宮殿は、昔から100軒規模で、いくら金持ちの貴族でも100軒を越える事ができませんでしたので、景福宮を一回りするのにはざっと見ても1時間以上はかかると思います。博物館もあるのでゆっくり時間をかけて見てください。
景福宮からは仁寺洞までも徒歩10分、市庁までは徒歩15分、世界遺産昌徳宮まで徒歩15分、ソウル歴史博物館にも徒歩15分の距離で、ソウル市内観光の出発点とも言えますので、ソウル観光にいらしたらぜひご覧になってください。※このページは2009年のデーターを基に作成した内容です。景福宮に関するもっと詳しい内容は景福宮ガイドブックからご確認できます。(2016.6)