江華 (강화:Ganghwa)
江華島(강화도)は漢江河口にある島で、韓国では5番目に大きい島。行政的には仁川広域市(인천광역시)江華郡であり、江華島は江華郡の中心になっている島で周囲には他にも約15個の島がある。もともとは3つの島で分れていたのだが干潟が広がるにつれて繋がって1つの島になったのである。
江華島は、面積 293㎢、海岸線の長さは 99km。最高峰の摩尼山(마니산 : 469m)をはじめ、400mほどの山が多いが険しくはない。気候は寒暑の差が激しく雨が多い。1月の平均気温は約-4.7℃、8月の平均気温は約 25℃、年間の降水量は約 1,143㎜ くらいである。1970年に江華大橋(694m)が建てられ陸地と繋がるようになった。江華島は、高麗時代の13Cにモンゴルから6回の侵略を受け、1231年に開京(今の開城)からここ江華島へ遷都してきて以来36年間モンゴルに対抗するための高麗の臨時首都でもあった。近代には朝鮮時代の首都(서울)へ入る入口にあるため、諸外国(アメリカ・フランス・日本など)との激戦地でもあり、世界大戦が終わってからは北朝鮮が鼻の先にあるため長い間緊張感のある地域で今までも続いている。このような歴史的背景から遺物・遺跡が多く最近は旧跡時代のドルメン郡がユネスコ世界遺産に登録され、開発には遅れているが文化的な見所は豊富な地域である。
聖公会
キリスト教の一種。イギリス教会の伝統と組織をともにする教会をまとめて示す言葉で、1534年にローマカトリック教会から分派した。
大韓聖公会
英国聖公会の宣教で出来た韓国の聖公会。英国聖公会の最初の韓国宣教は1885年に中国に宣教師として送られていたJ.R. Wolf神父によって釜山で2年間行われた。これより本格的な宣教は1890年に英国海軍の従軍神父であるC.J.Corfeが韓国に派遣されたことから始まった。彼はソウルを中心としながら仁川(인천)、水原(수원)、江華島(강화도)などで宣教活動を繰り広げ、病院・孤児院・印刷所などを設立したりもした。1914年江華島に神学院を設立し、1915年には金熙俊が韓国人としては初めて神父の叙品を受けた。1931年にC.Cooper神父が主教として就任したが日帝(日本帝国)の弾圧で追放されたりもした。1965年にはソウルと大田と両教区を分割し、李天煥神父が韓国人では最初の主教の聖座に就いた。参考-- Britannica百科事典 --
高麗宮址
モンゴルの侵略に対抗するために1232年(高宗19年)から1270年まで 39年間使っていた。高麗史節要によると崔瑀(최우)が1232年6月に二領軍を動員して建てたと書いてあるが、実際には1234年に本格的に建てられた。規模は小さいが松都(開城)の建物を真似て作り、後ろの山の名前も松岳と名づけた。正門は昇平門で両側に3階建ての門が2つあり、宮内には色々な建物があったが1270年の松都還都の時にモンゴルの条件により全部壊した。
1631年行宮を高麗の昔の都に建てるにつれて長寧殿を建てて朝鮮の太祖と世祖の影幀(肖像画)を奉り、江華留守府の建物と外奎章閣を建て多くの王室文書を保管していた。しかし、1866年丙寅洋擾(병인양요)の時にフランス軍が本と書類を略奪し多くの建物を消失した。
ソウルから江華島への行き方
ソウル地下鉄2号線新村駅(신촌역)1番出口を出て真っ直ぐ2分ほど歩くと新村市外バスターミナル(신촌시외버스터미널)があります。ここから江華(강화)行き直行バスに乗って約1時間20分。※<江華島観光地図拡大>
喬桐(喬桐邑城, 温泉, 喬桐聖堂, 喬桐鄕校:공자, 식전제)