法住寺旅行記
法住寺
昨日の夕方ここ俗離山国立公園に到着し、美味しい山菜キノコ定食やお酒そして旅の疲れでぐっすり寝られた私は、朝起きて朝食を済ましてすぐ俗離山国立公園の中にある法住寺(법주사)に向かいました。入場料3000ウォンを払い、四天王が構えている門を潜ると左の方に国宝64号の石蓮池(석연지)がまず見えて来ました。そして国宝5号の双獅子石灯(쌍사자석등)も見えてきます。両方とも由緒のある大事な文化財ですが、これを見に来たわけではありません。
法住寺(법주사)は、西暦553年に創建されたと伝われ、壬辰倭乱の時に全焼したのを1624年に立て直して今日に至っているそうです。法住寺の境内には国宝5号の双獅子石灯や国宝64号石蓮池のほかにも宝物が沢山あり、俗離山の景色と調和してとても綺麗に見えました。
法住寺捌相殿
法住寺境内にある大門を潜ると国宝55号の木造塔である捌相殿が見えてきます。捌相殿(팔상전)とは釈迦様の生涯を8つに分けて画いた八相図(팔상도)と仏像を祀った建物のことを言いますが、もともとは統一新羅の6世紀半ばに建てられたそうですが、1597年丁酉再乱の時に消失したのを1624年に建てなおしたもので、1968年に解体修理して今日に至っています。法住寺の捌相殿は韓国に残っている唯一の5層木造塔で、韓国に残っている塔の内一番高く、木造の塔として唯一のものでその意味が高いです。
今回の旅行の一番の目的はここ法住寺の捌相殿を見ることですが、捌相殿を特別に選んだ理由は、慶尚北道榮州市にある浮石寺の無量壽殿を見た後、浮石寺の景色や無量壽殿の美しさに感動し、長年ソウル国立博物館に勤めていた崔淳雨(1916~1984)氏が書いた「無量壽殿のエンタシス柱に持たれて」という本を読んだのですが、その中で浮石寺無量壽殿とともに印象に残っていたのがこの法住寺の捌相殿だったわけです。建立された時代はそれほど古くないですが、韓国の建築美が窺え、さらに俗離山の自然と融合したその姿を直に見ることができて大満足でした。
純祖大王胎室
法住寺から出て俗離山の登山コースを歩いてみることにしました。 俗離山は景色がとても綺麗な山で、多くの登山客から人気があるのですが、今回の旅行の目的は法住寺の捌相殿を見ることだったし、梅雨の影響で大雨が降ってきたので登山用の地図上に割りと近い距離にある、朝鮮王朝23代目の王(純祖大王)の胎室を見て帰ることにしました。
胎室とは王の胎をカメの中に入れて保管する所で、純祖大王の胎室は1806年(純祖6年)に建てられ、当時まで報恩県だったのを報恩郡に昇格したそうですが、植民地時代に朝鮮王朝の気を抑えるために、朝鮮総督府は1928年、全国に分散されていた朝鮮王朝の胎室をソウルの一つの場所に集める時、純祖大王の胎を納めたカメをソウルの昌慶宮に移し、ここには石室と碑だけが残っているそうです。しかし大雨のなかいくら探しても入口を表す標石だけが見えて胎室は見つからなく途中で山を降りるしかありませんでした。
俗離山バスターミナル
俗離山からおりるといつの間にか雨は上がっていました。バスターミナルに行って次の目的地である清州行きのバスを待ちました。
清州は忠清北道の中心都市なので、俗離山から清州行きのバスは便数も多く、10分も待たない内にバスが到着しました。運転手さんの後ろの席に座り、清州まで時間はどれくらいかかりますか?(청주까지 얼마나 걸려요?)と聞いたら、渋滞しなければ1時間くらいで着くと応えてくれました。(料金7500ウォン)
俗離山を出たバスは約20分後、報恩ターミナルに寄り5分ほど停車してから清州に向かって再び走り出しました。バスの運転手さんは俗離山から報恩に来る時は乗客のおばさんたちとおしゃべりしてたのに、報恩から清州に向かう時は到着までずっとだまって運転していました。どうやら清州は報恩や俗離山と違って都会だから仕事に対する意気込みが違うように見えました。