代 |
王 |
在位(期間) |
参考 |
1 |
東明聖王 |
B.C 37 ~ B.C 19(18) |
姓名は高朱蒙。元々の姓は解。朱蒙は扶餘出身だが南下し、B.C37年に卒本地域句麗国に国を建てて高句麗とし、自分の姓を高とした。 |
2 |
榴璃明王 |
B.C 19 ~ A.D 18(37) |
姓名は解榴璃。東明聖王の長男。※卒本地域有力家門出身の召西奴は東明聖王の2番目の婦人になる前にすでに二人の息子(沸流と温祚)がいて、扶餘から榴璃が逃げて来て太子になったあと南下し、温祚は百済を建国した。※黃鳥歌。 |
3 |
大武神王 |
18~44(26) |
姓名は解無恤。榴璃明王の3男。 |
4 |
閔中王 |
44~48(4) |
姓名は解色朱。大武神王の弟。 |
5 |
慕本王 |
48~53(5) |
姓名は解憂または解愛婁。大武神王の息子。 |
6 |
国祖王 |
53~146(93) |
姓名は高於漱。 榴璃明王の孫。太祖王ともいう。 |
7 |
次大王 |
146~165(19) |
姓名は高遂成。国祖王の弟。 |
8 |
新大王 |
165~179(14) |
姓名は高伯固。次大王の弟。 |
9 |
故國川王 |
179~197(18) |
姓名は高南武。新大王の次男。國壤王とも言う。 |
10 |
山上王 |
179~227(48) |
姓名は高延優。新大王の息子で故國川王の弟。 |
11 |
東川王 |
227~248(21) |
姓名は高憂位居。山上王の息子。東襄王とも言う。 |
12 |
中川王 |
248~270(22) |
姓名は高然弗。東川王の息子。中壤王とも言う。 |
13 |
西川王 |
270~292(22) |
姓名は高藥盧又は高若友。中川王の次男。西壤王とも言う。 |
14 |
烽上王 |
292~300(8) |
姓名は高相夫又は高歃矢婁。西川王の長男。雉葛王とも言う。 |
15 |
美川王 |
300~331(31) |
姓名は高乙弗又は高憂弗など。西川王の孫。好壤王とも言う。 |
16 |
故國原王 |
331~371(40) |
姓名は高斯由又は高釗。美川王の息子。國罡上王とも言う。371年百済の近肖古王と平壌での戦いで戦死した。 |
17 |
小獸林王 |
371~384(13) |
姓名は高丘夫。故國原王の長男。372年中国(前秦)から僧侶順道によって仏像とお経が伝来した。 |
18 |
故國壤王 |
384~391(7) |
姓名は高伊連又は高於只支。故國原王の次男。 |
19 |
廣開土大王 |
391~412(21) |
姓名は高談德又は高安。故國壤王の息子。中国と日本では好太王として知られている。 |
20 |
長壽王 |
413~497(84) |
姓名は高巨連。廣開土大王の長男。平壌遷都(427年)。 |
21 |
文咨明王 |
491~519(28) |
姓名は高羅雲。長壽王の孫。夫餘を滅亡させた(494年)。 |
22 |
安臧王 |
519~531(12) |
姓名は高興安。文咨明王の長男。 |
23 |
安原王 |
531~545(14) |
姓名は高寶延。安臧王の弟。鵠香岡上王、香岡上王、安岡上王とも呼ばれた。 |
24 |
陽原王 |
545~559(14) |
姓名は高平成。安原王の長男。陽崗上好王、陽崗王とも言う。 |
25 |
平原王 |
559~590(31) |
姓名は高陽成。陽原王の長男。平崗上好王とも言う。 |
26 |
嬰陽王 |
590~618(28) |
姓名は高元または高大元。平原王の長男。平陽王とも言う。隋文帝・隋煬帝の侵攻を乙支文德(※與隋將于仲文詩)が破った。 |
27 |
榮留王 |
618~642(24) |
姓名は高建武。平原王の次男で嬰陽王の腹違いの弟。淵蓋蘇文(603~665年)によって殺された。 |
28 |
寶臧王 |
642~668(26) |
姓名は高寶臧。淵蓋蘇文によって即位。新羅と唐の連合軍によって高句麗滅亡(668年)。 |