代 |
王 |
在位(期間) |
参考 |
1 |
温祚王 |
BC18~AD28(46) |
高句麗の初代王東明聖王の息子。元々の姓は解。東明聖王の本妻からの息子(後の榴璃明王)が太子になると高句麗から南下し東ソウル(河南慰禮城)に定着した。 |
2 |
多婁王 |
28~77(49) |
温祚王の長男。 |
3 |
己婁王 |
77~128(51) |
多婁王の長男。 |
4 |
蓋婁王 |
128~166(38) |
己婁王の息子。 |
5 |
肖古王 |
166~214(48) |
蓋婁王の長男。素古王又は速古王とも言う。 |
6 |
仇首王 |
214~234(20) |
肖古王の息子。貴須王とも言う。 |
7 |
沙伴王 |
234(1) |
仇首王の長男。沙沸王または沙伊王とも言う。 |
8 |
古爾王 |
234~286(52) |
蓋婁王の息子、肖古王の弟。 |
9 |
責稽王 |
286~298(12) |
古爾王の息子。靑稽王または責贊王とも言う。 |
10 |
汾西王 |
298~304(6) |
責稽王の長男。 |
11 |
比流王 |
304~344(40) |
仇首王の次男。 |
12 |
契王 |
344~346(2) |
汾西王の長男。 |
13 |
近肖古王 |
346~375(29) |
姓名は解餘句。比流王の次男。古事記には照古王、日本書紀には肖古王と書いてある。 |
14 |
近仇首王 |
375~384(9) |
姓名は解須。近肖古王の長男。 |
15 |
枕流王 |
384~385(2) |
近仇首王の長男。 |
16 |
辰斯王 |
385~392(7) |
近仇首王の次男。 |
17 |
阿莘王 |
392~405(13) |
枕流王の長男。 |
18 |
腆支王 |
405~420(15) |
阿莘王の長男。日本書紀には直支王と書いてある。 |
19 |
久爾辛王 |
420~427(7) |
腆支王の長男。 |
20 |
毗有王 |
427~455(28) |
久爾辛王の長男。 |
21 |
蓋鹵王 |
455~475(20) |
姓名は扶餘慶司。毗有王の長男。近蓋婁王とも言う。475年高句麗(長壽王)の攻撃で没。 |
22 |
文周王 |
475~477(2) |
蓋鹵王の息子。 |
23 |
三斤王 |
477~479(2) |
文周王の長男。 |
24 |
東城王 |
479~501(22) |
姓名は扶餘牟大・扶餘摩牟・扶餘麻帝など。文周王の弟である昆支の次男。※大阪府羽曳野市の飛鳥戸神社は昆伎王を祀っている。 |
25 |
武寧王 |
501~523(22) |
姓名は扶餘斯麻または扶餘隆。日本書紀には東城王の腹違いの兄と書いてある。 |
26 |
聖王 |
523~554(31) |
姓名は扶餘明襛。武寧王の息子。538年都を熊津(今の公州)から泗沘(今の扶餘)へ移り国号を南扶餘と名乗る。 |
27 |
威徳王 |
554~598(44) |
姓名は扶餘昌。聖王の長男。 |
28 |
惠王 |
598~599(2) |
姓名は扶餘季。聖王の次男。獻王とも言う。 |
29 |
法王 |
599~600(2) |
姓名は扶餘宣または扶餘孝順。惠王の息子。 |
30 |
武王 |
600~641(41) |
姓名は扶餘璋。法王の息子。※薯童謠 |
31 |
義慈王 |
641~660(19) |
姓名は扶餘義慈。武王の長男。 |