たった3分の出会いで… 私は韓国に “恋” をしてしまった!
by 竹下 南
それはまさに私にとって偶然、かつ運命的な出来事だった。
ワールドカップ日韓共催を翌年に控えた2001年3月6日、なにげなく見ていたNHKテレビETV2001『特集:韓国何が変わったのか ─兵役と若者たち─ 』の番組から聞こえてきた哀愁漂うラップの響き。当時の私にはまったく理解できない韓国語だったけれど、言葉の壁を越えて痛いほどに私の心にストレートに響いてきた。韓国は今でも徴兵制度が現存する国。兵役義務と青春の狭間に身を置く韓国の若者たちを紹介した、そのドキュメンタリーのバックに流れていた曲は“god”の「ウェ(なぜ)」。当時人気絶頂にあったgodが歌っていたこの1曲のたった3分間の出会いによって私は韓国に夢中になり、韓国文化にどっぷりとハマってしまったのである。
これまで「近くて遠い国」だった韓国は、2003年“韓流”という名の一大ムーブメントにより、ドラマ・k-pop等が大ブレークした結果、隣国韓国の魅力に取りつかれる人々が大量に訪韓するようになった。私もその一人としてコンサートに、語学短期留学に、旅行に買い物に…と足繁く訪れるようになった結果…、
“どうして今まで知らなかったの?”
“どうして今まで教えられてこなかったの?”
と言ったさまざまな不思議・疑問が湧き起ってきていた。
以下のブログは、10年あまり私が韓国を訪れての率直な見聞録である。
あくまで一個人の感想であるので、いろいろな見方・意見もあるかと思うが、韓国大好きアジュンマが綴った“韓国雑感”として読んでいただければ幸いである。
さて、つきあって見るとこんなにも魅力的な国であったのにもかかわらず、私はそれまで韓国について何も知らなかった。いや、知らされてこなかったと言ってもよいであろう。
中学・高校までの社会科の授業では明治以降の近代史においてはほとんど学校の授業では教わらなかった。それ以前の時代のことは、事細かに勉強するのだが、近代から現代にかけての史実については「みんな各自で教科書を読んでおくように…」との先生のひと声で3学期の授業が終了してしまい、いわゆる明治以降の近代史については知る由もなかった。これは何も私だけのことではなく、友達に聞いても同じようなことだったらしいので、敢えて“教えない”という文科省の教育的政策意図さえ勘ぐってしまいたくなる話である。
それまで私の韓国に対する知識といえば、「戦前日本植民地下にあった国・戦後軍事国家・キーセンパーティ・なんとなく恐い国etc.
であったのに対し、実際に訪れるようになって目にした韓国の街・人々の表情は自信に満ち活力に溢れ、アジュンマひとりで行動しても全く問題なく過ごせる国であった。東大門・南大門の昼夜を問わない活気に圧倒され、各市場に見られる品物の豊富さ、またその売り手買い手のやり取りの親密さには、どこか昔懐かしい人間臭さを感じさせるような郷愁が漂っていた。しかしその一方、地下鉄の急速な整備に代表されるインフラ関連には東京など到底及ばないほどの目を見張る発展があった。各駅には急ピッチでホームドアが設置され、「救護用品保管箱」も用意されている。こうした防災・危機管理対策の充実はどのようにして進められたのであろう? 社会的事件・事故を契機としてとられた対策であろうが、そのスピード感にはまったく驚いてしまう。いやはや凄い国だ!
当時私は50歳を過ぎていたが、コンサート帰りに遅く街を歩いていても治安の心配はなく、好きなk-popを聴いた後の高揚感のもとに幸せな心持ちで宿に帰るとき、“韓国”が名実共に「近くて近い国」になったことを感じ、日韓関係の明るい展望に感謝の気持ちでいっぱいになったものだった…。
そうしたコンサートをたのしみ、語学留学をするなかで、韓国と日本の近代史に直面するような体験が多々あったことを記しておこう。例えば「新世界デパート」へ行くと、何だか天井の高いデパートの造りが日本の「三越」と似ていたり、街で出会った80歳過ぎと思われるおばあさんが上手に日本語を話していたり、韓国での日常のそこかしこに“日本”を思い起こさせる事象があることに気がついたのだ。
…ということで、k-popから入った韓国だったが入口の容易さからは想像できない奥深さが横たわる韓国について、「さぁー、韓国と日本の近代史を学ばなければ…」と思ったのは言うまでもない!日本の学校教育で教えられてこなかったならば、自分で勉強するしかない。そういう思惑で見渡した韓国については、また次回のブログに記したいと思う。- 2014.4 -