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韓国のグループ「삶・뜻・소리(サム・トゥッ・ソリ)」来日公演を聴いて

by 竹下 南

 4月2日桜が満開のなか、立川の会場で「サム・トゥッ・ソリ」の公演を聴いた。
 久しぶりに韓国語のうたを生で聴いて、胸が熱くなり、涙が次から次へと出てくるのに困りながら、彼らの舞台に感動の拍手を送った。なぜ、これほどまでに感激したのか。
 それは彼らの“うた”が聴衆に訴えかけ、感動を与えてくれる要素に、少しでもよい世の中を作ろうとする運動の連帯がある、ということを教えてくれたからだと思う。ただ美しく理路整然と表現するパフォーマンスではなく、無骨でも、粗削りであっても、本質にストレートに迫りくるものの重要さを教えてくれたからだろうと思う。
でもそれだけではない。「サム・トゥッ・ソリ」のレパートリーには私たち日本人が知らなかった韓国が直面している問題の数々が現れていた。メディア操作によって韓国の民衆の姿は日本ではほとんど報道されていない。
 2002年訓練中の米軍装甲車にひかれて死亡した女子中学生の、その無念の死に誘発されて行われたロウソク集会を見てイ・グァンソクが作詞作曲した『ふたたび光化門で』や、2008年狂牛病のおそれがある米国産牛肉輸入に対して憤った市民たちが、光化門とソウル市庁舎前広場で行ったロウソクデモからうまれた『人生に感謝』(作詞作曲はリーダーのソン・ビョンフィ)、そして『私たちのふるさとーウリハッキョ』など舞台バックに映し出される映像および日本語訳とあいまって韓国の民衆運動の広がりを知ることができた。秀逸の演出の舞台だったといえる。

 それにしても「サム・トゥッ・ソリ」の公演を聴くのは今回が初めてだった。彼らは1998年、50周年記念日本のうたごえ祭典に出演するため、韓国民族音楽人協会によって編成され、その変わったグループ名も「生・志・歌」を意味している。リーダーの손병휘(日本語が上手!)以外、メンバーチェンジを繰り返しながらも意志強固に活動を続けている姿勢には、韓国の民主化を歌によって支えてきたという“自信・誇り”が満ち溢れていた。
 聴きながら感じたのは、日本のグループとの違いだ。
 一糸乱れずに歌い、パフォーマンスする舞台が日本だとしたら、彼らは一人ひとりの個性が見事に花開いたひとつの集合体だ。男性二人に女性三人の計5人は声質も違えば、容貌もまるで異なっているのだが、5人の声が共鳴したときの美しくも力強い迫力には圧倒されてしまった。たとえ舞台上のミスがあっても平気だ。やり直せばよい。それより大切なことがあることを彼らは知っている。実にたくましい。

 最近では“うた”が歌として耳に響いてこないことが多い。
 “ことば”は意味をなくし、“メロディ”は無くなり(あったとしても不自然な流れに…)とにかく聴いていて何をいっているのか皆目わからないことが多い。だから音楽に共鳴することなど不可能に近い状況なのだ。
 そんな昨今に、彼らの『その人をもったのか』(ハム・ソクホン作詞パク・ウニョン作曲)が聴けたことは大きな収穫だった。

♪ 万里の道を行くとき安心して妻子を預けられる
  その人をあなたはもったのか

  世の中から捨てられ心が寂しい時にも
  あの気持ちこそはと信じられるその人をあなたはもったのか
  乗った船が沈むとき救命胴衣を互いに譲り合い
  お前だけはどうか生き残ってくれと言う
  そんな人をあなたはもったのか

  不義の死刑場で「みなを殺しても君たち世の光のために
  あの人だけは生かせてくれ」と言ってくれる
  その人をあなたはもったのか

  この世を去ろうとするときあなたがいるからと
  にっこり笑って目を閉じるその人をあなたはもったのか

  世の中すべてが賛成しても違うよと言って黙って首を振る
  その顔を想うとこまごました誘惑を振り払える
  その人をあなたはもったのか

  (訳 鄭剛憲)

 さて、果たして私自身はどうだろうか… そのような『その人をもったのか』と言えるだろうか。そのように自信をもって断言できるためには、自分の生き方に正直に、かつ世の中の動きに敏感に、そして少しでもよい世の中を作ろうとする姿勢が問われているのに違いない。
 「サム・トゥッ・ソリ」はあらためて、私たちの生き方を問いただしてくれたのである。- 2016.4. -

『その人をもったのか』(ハム・ソクホン作詞パク・ウニョン作曲)